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今日で3年

昨日からどんな風に迎えればいいのか考えていた
ひとつは震災時働いていた職場を去年末辞めた事かな
あの瞬間いた場所に去年もおととしも立っていた
11日のサイレンを黙とうしたあの場所
今年は卒業しちゃったから
まあ、別に行ってもいいんだけどw

でも、やっぱ、ちょっと辛いから行きたくないかも

今年はね
休んだの
子供も学校休ませた
ゲームやアニメは禁止で。

追悼式とかはちょっと違うから行かなかったけど
昼にマックを食べて
ちょうど、そこも震災後1年くらい閉まっていて
45号の震災後の光景を子供に話して聞かせて
そこからぐるっと施設の方に行って
あの日、自宅へ帰った道を通り
自分の見た光景を子供に教えて
もういちど、あの日、あの後の事思い出して
子供達と話した
そんな時間
3年経って初めてだったな

緊急時って人間の素が出るよね

あの日、施設長は利用者さんを帰宅させないという判断をして
(迎えにいらしたご家族はたった2家族でした)
デイサービスに利用者さんを泊まらせて、ご飯を出して
みんなで「大丈夫」って励まして
みんなが寝たところで私は帰った
パート勤務でもともとの休みのシフトだったから
2日間施設には行かなかった
確か、その時の上司に「ちょっと家庭もあって仕事に行けない」ってメールをして(届いていたかわからないけど)計5日くらい休んだと思う
久しぶりに行くと同僚(パート)はそのまま泊まり込んでずっと介護していたと言い
閉塞感が半端なかった
福祉避難所に指定されていたらしく、知らない人(利用者さんじゃない人)が半分以上で
仕事もとても介護職という仕事じゃなかった
デイは完璧に機能していなかった
昼ごはんを出してお茶を出してトイレに連れて行く(オムツ交換する)
そんな感じ
福祉避難所に指定されていたくせに水の配給はなく
水道がないからと職員が一般の人に交じり水配給に並んでいたそうです
一般の人達よりも多い人の分の水が必要だからそれを一般に人に混ざって貰うという
私が休んでいた間、水汲みが大変だったらしく
お茶を沢山飲む方に対して職員が陰口を言っていた事に私は愕然とした
介護職なら高齢者の水分をとることの意味わかるはず
そこでは介護をしていなかった
もう、そんな人たちの中で仕事は出来ないから
辞めようと思った
私もみんなもどっかおかしくなってたんだよね
国道は片道が通れるくらいにがれきや車をどかした壁の間を通って走る
いつまで続くかわからないこの状況、、、
非日常は精神を冒していたと思う

その時は自分の出来る事をやるしかなかったけど
髪の毛を洗ってあげただけで手を合わせて感謝された事忘れない
水が出た!!!ってお風呂に入って嬉しそうな顔忘れない
自宅に戻れないからと入所になった最後の日の泣き顔

何も出来なかった、いや、何もしなかった、自分の無力さ、弱さ
心に刻んでいる
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